2010年 03月 12日
頗る元気です |
カーラジオから春の陽気とともに軽快なマンドリンの伴奏(石川鷹彦?)で
「結婚しようよ」のメロディが流れてきた。
昨年、これが最後?と噂された全国ツアーが多くのファンの望む中で始まったものの
すぐに体調不良ということで中止をやむなくされたのだった。
広島でのコンサートチケットをなんとか手に入れた矢先だったのでとても残念な思いを
したのでした。(僕の妻は何十年来のタクローファンだったのだ。)
その後、あまり表に出ることがなく病が心配されてきた吉田拓郎さんです。
月刊すばる3月号で突然インタビュー記事が掲載されました。
インタビュアーは自身が熱烈な拓郎ファンだと自認する作家重松清。
文芸誌が売れなくなっているご時勢に文壇とは縁のない音楽界の吉田さんの
異例のインタビュー記事は大きな反響を呼んだといいます。
集英社の英断でもあり、もしかするとこれから先の文芸誌の試金石になった企画と
いえるかも知れません。
作家というモノを生み出すクリエイティブな仕事が、音楽と共通の意識を内在させながら
創作の苦しみや喜びをこれまでの時間軸に沿いながら吉田さんがこれまで吐露しなかった
内面もまで引き出していて興味ぶかく読ませてもらいました。
60を過ぎてもなお音楽に対する真摯な想いが伝わりこれから先大きなコンサートは
無いにしても作曲やライブ活動にはまだまだ意欲的に挑んでいくんだと語っています。
特にライブ活動は小さな会場でもやりたい場所があるんだそうです。
病気のことなど微塵も感じさせない彼独特の言い回しが文面から伝わってきます。
「吉田拓郎」の幻影に悩まされながらもそれをエネルギーとして内燃し転がり続けたローリング60ティ。
重松清の最後の文は「彼はまだまだ人生を語らず・・・頗る元気です。」・・・と。
“僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙が着く~”
「春だったね」という唄が好きでした。
春になるとあの頃のことを思い出します。
「結婚しようよ」のメロディが流れてきた。
昨年、これが最後?と噂された全国ツアーが多くのファンの望む中で始まったものの
すぐに体調不良ということで中止をやむなくされたのだった。
広島でのコンサートチケットをなんとか手に入れた矢先だったのでとても残念な思いを
したのでした。(僕の妻は何十年来のタクローファンだったのだ。)
その後、あまり表に出ることがなく病が心配されてきた吉田拓郎さんです。
月刊すばる3月号で突然インタビュー記事が掲載されました。
インタビュアーは自身が熱烈な拓郎ファンだと自認する作家重松清。
文芸誌が売れなくなっているご時勢に文壇とは縁のない音楽界の吉田さんの
異例のインタビュー記事は大きな反響を呼んだといいます。
集英社の英断でもあり、もしかするとこれから先の文芸誌の試金石になった企画と
いえるかも知れません。
作家というモノを生み出すクリエイティブな仕事が、音楽と共通の意識を内在させながら
創作の苦しみや喜びをこれまでの時間軸に沿いながら吉田さんがこれまで吐露しなかった
内面もまで引き出していて興味ぶかく読ませてもらいました。
60を過ぎてもなお音楽に対する真摯な想いが伝わりこれから先大きなコンサートは
無いにしても作曲やライブ活動にはまだまだ意欲的に挑んでいくんだと語っています。
特にライブ活動は小さな会場でもやりたい場所があるんだそうです。
病気のことなど微塵も感じさせない彼独特の言い回しが文面から伝わってきます。
「吉田拓郎」の幻影に悩まされながらもそれをエネルギーとして内燃し転がり続けたローリング60ティ。
重松清の最後の文は「彼はまだまだ人生を語らず・・・頗る元気です。」・・・と。
“僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙が着く~”
「春だったね」という唄が好きでした。
春になるとあの頃のことを思い出します。
by rinken-style
| 2010-03-12 23:12
| 本・音楽・映画