2010年 05月 14日
宿 |
建築家・中村好文さんが初めて京都の老舗の名旅館に泊まる機会があった折、
数ある部屋の中で泊まる部屋を選ぶ条件として
1.廊下の突き当たりに位置する
2.入隅に配置され庭が望める
3.足が伸ばせるコタツ式の書院が付いている
4.清潔で充実した水廻りが完備されている
をもって決めたのだと著書の中で語っている。
建築仲間たちからその老舗旅館に泊まらないかと言う話を急にいただいたのだった。
メンバーが何室かを予約しそれぞれの部屋を探索(?)出来るという
なかなかの迷案である。
何度も足を運ぶには敷居の高い名旅館なので二度とない機会だと思い
いそいそと京都に足を運んだ。
多くのメンバーは一階の庭に面した広くて立派な部屋。
僕が通された部屋は階段を登った薄暗い廊下の突き当たりでメンバーの中では簡素に思える。
(勿論、お値段の差に他ならないのだけど・・・)
「霞」と名づけられたその部屋に入り、しばらく落ち着きの無い白熊のようにうろうろ歩き回って
水周りを確かめたり部屋に置かれた調度を眺めたりした。
とても丁寧な応対の係りの方が来られ、出された冷たいわらび餅とお茶で一服し
ようやく落ち着いて部屋の佇まいを五感に感じた。暗い照明が一層五感を鍛えてくれるようだ。
琵琶床の壁に挿された一輪の花や、さりげなく掛けられてはいるものの
それは明治生まれの高名な女流画家の掛け軸。
一つ一つが季節によって設えられるのだろう。
書院は床が足を伸ばせる造りとなっていて入隅に取られたガラス戸の大きな開口部からは
孟宗竹の緑が眼に飛び込んでくる。
夕餉、手の込んだ京料理の食事につい酒も進み、その後メンバーの部屋に集まり夫々の
思い々の建築談義で夜が更けた。
遅い時間の入浴となったが高野槙で作られた木風呂に肩までゆっくりと浸かった。
酔いに任せ眼を閉じると朝まで眠ってしまいそうで慌てて桶から上がった。
女御主人の建築(勿論、ホスピタリティの精神は当然)に対する審美眼は建築を生業とする
僕たちの遥か上を行くもので毎年のように行われる改修には建築と言う既成概念にとらわれない
まさに数寄の真髄がなされているのだと思う。
それは亡くなられたご主人の影響が多大であったと言うことは、開放されている
スタディルームに入りph2/1の柔らかな明かりの下、名作の旧い椅子に腰を沈め
静かな時間を過ごしていると伝わってくる。
京都といういつの時代も先進の気概を抱合する歴史の街の奥深さをまざまざと
心に感じ入ったのだった。
僕が泊まった「霞」の部屋こそ中村好文さんのいう名室の条件に嵌った部屋だったに違いない。
(来京時の島根・浜田藩の武士を泊めるための常宿としてが起こりだと知りました。)
数ある部屋の中で泊まる部屋を選ぶ条件として
1.廊下の突き当たりに位置する
2.入隅に配置され庭が望める
3.足が伸ばせるコタツ式の書院が付いている
4.清潔で充実した水廻りが完備されている
をもって決めたのだと著書の中で語っている。
建築仲間たちからその老舗旅館に泊まらないかと言う話を急にいただいたのだった。
メンバーが何室かを予約しそれぞれの部屋を探索(?)出来るという
なかなかの迷案である。
何度も足を運ぶには敷居の高い名旅館なので二度とない機会だと思い
いそいそと京都に足を運んだ。
多くのメンバーは一階の庭に面した広くて立派な部屋。
僕が通された部屋は階段を登った薄暗い廊下の突き当たりでメンバーの中では簡素に思える。
(勿論、お値段の差に他ならないのだけど・・・)
「霞」と名づけられたその部屋に入り、しばらく落ち着きの無い白熊のようにうろうろ歩き回って
水周りを確かめたり部屋に置かれた調度を眺めたりした。
とても丁寧な応対の係りの方が来られ、出された冷たいわらび餅とお茶で一服し
ようやく落ち着いて部屋の佇まいを五感に感じた。暗い照明が一層五感を鍛えてくれるようだ。
琵琶床の壁に挿された一輪の花や、さりげなく掛けられてはいるものの
それは明治生まれの高名な女流画家の掛け軸。
一つ一つが季節によって設えられるのだろう。
書院は床が足を伸ばせる造りとなっていて入隅に取られたガラス戸の大きな開口部からは
孟宗竹の緑が眼に飛び込んでくる。
夕餉、手の込んだ京料理の食事につい酒も進み、その後メンバーの部屋に集まり夫々の
思い々の建築談義で夜が更けた。
遅い時間の入浴となったが高野槙で作られた木風呂に肩までゆっくりと浸かった。
酔いに任せ眼を閉じると朝まで眠ってしまいそうで慌てて桶から上がった。
女御主人の建築(勿論、ホスピタリティの精神は当然)に対する審美眼は建築を生業とする
僕たちの遥か上を行くもので毎年のように行われる改修には建築と言う既成概念にとらわれない
まさに数寄の真髄がなされているのだと思う。
それは亡くなられたご主人の影響が多大であったと言うことは、開放されている
スタディルームに入りph2/1の柔らかな明かりの下、名作の旧い椅子に腰を沈め
静かな時間を過ごしていると伝わってくる。
京都といういつの時代も先進の気概を抱合する歴史の街の奥深さをまざまざと
心に感じ入ったのだった。
僕が泊まった「霞」の部屋こそ中村好文さんのいう名室の条件に嵌った部屋だったに違いない。
(来京時の島根・浜田藩の武士を泊めるための常宿としてが起こりだと知りました。)
by rinken-style
| 2010-05-14 10:47
| 旅・食・酒